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2009/02/12 15:47

X JAPAN YOSHIKIが動き出した!

けんがいくん

皆様!こんにちわ!

いつも弊社ブログを御覧戴き有難う御座います!

此処数日間・・・本当に売れ行き好調な【けんがいくん】の事務手続きや工事立会い等でスケジュールが過密状態に陥りなかなかUP出来ず申し訳御座いません!

さて・・・今日は私も大ファンであり日本のロック界の神様【X JAPAN】の【YOSHIKI】の最新情報を掲載してみようかと思います!


YOSHIKIがスーパーGT“参戦”表明

ロックバンド、X JAPANのリーダー、YOSHIKI(年齢非公表)が11日、国内人気モータースポーツ「スーパーGTシリーズ」に“参戦”表明した。レーシングカーメーカーの童夢と「TEAM YOSHIKI&童夢プロジェクト」を立ち上げることを都内で発表。スポンサーも持ち込み、強力サポートすることを約束した。YOSHIKIが、世界的な不況で逆風が吹き荒れるモータースポーツ界の救世主になる!

猛烈な逆風に、真正面から立ち向かう。危機的な状況に陥った日本のモータースポーツに、YOSHIKIが救いの手を差し伸べた。

 名門チーム、童夢とタッグを組む「TEAM YOSHIKI&童夢プロジェクト」の発表会見で、自身がプロデューサーを務める米国のスポーツドリンク「ROCK ST☆R(ロックスター)」をチームのメーンスポンサーに付けることをぶち上げた。その額、なんと5000万円は下らないという。

 先月16日、X JAPANのワールドツアーをスタートさせ、世界制覇の夢へ一歩踏み出したYOSHIKIにとって、次なる夢がモータースポーツ“参戦”だった。かねてから親交のあった童夢の林みのる社長から今回のタッグを持ちかけられ、「音楽はギリギリのところでやっているが、レースもギリギリなところが好き」と呼応した。

 実は、YOSHIKI率いるX JAPANは95年から2年間、フォーミュラカーレース、全日本F3000の出場チーム「チーム・ルマン」のメーンスポンサーとして支援した実績がある。

 全日本F3000がフォーミュラ・ニッポンに変わった初年度の96年には、同チームのラルフ・シューマッハー(ドイツ)が年間王座を獲得。ラルフはF1ドライバーに巣立っていった。

 今度はスポンサーからチームを“束ねる”プロデューサーに就任だ。「今回、話を受けた童夢も、子供のころからスーパーカーのメーカーとして知っていたし、だからタイアップすることにしたんです」と、サングラスの奥の少年のような瞳を輝かせた。

 世界的な金融危機に端を発した景気の悪化を受けて自動車業界は逆風まっただ中。昨年12月にホンダが自動車レース最高峰のF1から撤退を表明。さらにスズキとスバルが世界ラリー選手権(WRC)から、三菱自動車もダカール・ラリーからの撤退を決めた。

 だからこその参戦。YOSHIKIは「やるからには勝たなければいけない」と“勝負師”の顔をのぞかせ、4月19日に鈴鹿サーキットで決勝を迎える第2戦を手始めに、スケジュールが許す限り現場に出向いて応援することも表明した。

 チームドライバーは昨季に続き、道上龍(35)と小暮卓史(28)が「ROCK ST☆R童夢(ホンダ)NSX」で、GT500クラスに参戦。道上が「勝ちます」と意気込めば、小暮も「YOSHIKIさんとともに戦えて光栄。昨季、一昨季と取り逃がした王座を今季こそ獲りにいきます」と決意も新たにした。YOSHIKIの参戦が、冷え切ったサーキットに春を呼ぶ。


YOSHIKI、Xジャンプ封印の危機!?

人気ロックバンド、X JAPANのライブの名物でもある“Xジャンプ”が、封印の危機にあることが分かった。リーダー、YOSHIKIが滞在先のリーガル・エアポートホテルでサンケイスポーツのインタビューに応じ、明かした。今春開催する東京ドーム公演の誓約書の中に「Xジャンプを誘導しない」との項目があったという。どうなる、Xジャンプ!?

Xジャンプができなくなる!?

今春に30万人を動員して行う東京ドーム4公演を含むドーム6公演の内容を聞いたときだった。

「東京ドームのブッキング前に時間制限とか何項目もある誓約書を書かされました。その中に『Xジャンプを誘導しない』っていう項目があったんです」と明かした。

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Xジャンプとは、バンドの代表曲「X」のサビの部分で両手を交差させてファンとともに飛び跳ねるというもの。X JAPANのライブの名物的存在で、数万人規模で飛び跳ねることが多く、地震のような震動が起きることでも知られる。

東京ドームでは昨年3月末に復活3夜連続公演を行ったが、初日が2時間20分遅れでスタート。その際にドーム側から時間厳守の誓約書を書かされたが、Xジャンプ規制の項目はなかった。

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問題の楽曲「X」では、ラストのサビに入る前に演奏を一時中断し、スクリーンに映し出されたhideさんが「飛べ飛べ…」と観客をあおるのがお約束だが、「ダメって言ったらファンはやりたくなっちゃう。何か和解案ないかな。hideに『飛べ』って言ってもらおうか」と困り顔。今後の対策などの明言は避けたが、「でも、Xのファンはマナーがいいから何とかしてくれると思う」と期待を込めた。

一方、YOSHIKIは、ドラムセットへのダイブ封印も明言。前夜の香港公演で破壊したドラムセットに飛び込み、全身傷だらけに。全治2週間程度の傷を負い、「朝のシャワーが辛かった。お湯がしみて。筋肉痛の痛みを感じないぐらい痛い」と苦笑い。「みんなに感謝や喜びの気持ちを表すのに命捨ててもいいって気持ちで飛び込んじゃう。でも体傷つけて命を削らなくてもって思った。今度からドラムセットに『飛び込み禁止』って紙をはっておこうと思ってます」と笑った。

続けて、ファン待望の新曲が完成したことも明言。「激しくてきれいなサビ。5月にhideのお墓参りに行く前に、何かすごくイメージが沸いて、そのときに作りました」。以前、サンケイスポーツのインタビューで「6人目が入った」「世界ツアーが最後かも」などと爆弾発言した件については「6人目は近々発表します。世界ツアーは最後だと思ってたけど、香港にまた来ますって言っちゃったし。世界ツアー2回やっちゃったら奇跡だと思うけど、奇跡を起こすのがX。Xはファンとともに作っていくバンドなので、どこまでやるかはみんなと決めていければ。命続く限り!?そうですね」と、止まらない進化を誓った。


■YOSHIKI

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YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹 - はやし よしき)は、ミュージシャン、音楽プロデューサー、ドラマー、キーボーディスト、プロデューサー。千葉県館山市出身。
ロックバンド「X JAPAN」のリーダーで、ドラムとピアノを担当。また、自身のプロジェクト「VIOLET UK」を手掛けている。

■生い立ち
千葉県館山市に呉服屋の二人兄弟の長男として生まれる。4歳からピアノのレッスンを受け、9歳で、ドラムをはじめる。小学5年生の時に母親に頼み連れていってもらった「キッス」のライブを見て、ロックに目覚める。

■ DYNAMITE、NOISE、そしてXへ
幼少の頃からの友人であったTOSHIと、中学生の時に初めてのバンド「DYNAMITE」、後の「NOISE」を結成。部活動としてブラスバンド部に入部しており、トランペットを担当していた(中学3年の時には、サッカー部との掛け持ちをしている)。

千葉県立安房高等学校時代の夏、TOSHIとその他同級生でX(後のX JAPAN)を結成、TOSHIと共に当時存在した青山レコーディングスクール入学のため上京する。一部のメンバーは卒業と同時にバンドを辞め大学に進学した。


■ソロ活動
1991年にバンド活動と掛け持ちでソロ活動を小室哲哉とのユニット『V2』を結成し開始する。同年12月18日の東京ベイNKホールでV2のLIVE「V2 SPECIAL LIVE VIRGINITY」開催した。東芝EMIと1992年に初のソロ契約。翌年に東芝EMIよりクイーンのロジャー・テイラーと「Foreign Sand」をリリースした。

■1997年のX JAPAN解散後
表舞台には上がらず、VIOLET UKや北野井子らのプロデュースを手がけていたが、1999年、天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典で奉祝曲「Anniversary」を御前演奏した際に受けたファンからの歓声が再起のきっかけとなったと明かしている。

■2002年
コロムビアミュージックエンタテインメントと契約。
2002年9月1日 globeに電撃加入。globeでの活動はマキシシングル「seize the light」のリリースのみである。のちにYOSHIKIを加えた活動時にはユニット名が「globe extreme」になることが発表された。
12月3日・4日 東京国際フォーラムにて「YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 featuring VIOLET UK」開催。


■2004年
avex傘下のaxevとマネジメント契約。
宝塚歌劇花組公演「TAKARAZUKA舞夢!」で使われた「世界の終りの夜に」を作曲。


■2005年
3月24日 愛知万博の開会式において、公式テーマソング「I'LL BE YOUR LOVE」のオーケストラ演奏でタクトを振る。

■2006年
4月10日、長編アニメーション映画「ベルサイユのばら」の音楽を担当することを発表。
8月、親交の深いミュージシャンGacktとバンドS.K.I.N.を結成。
8月5日、メリーランド州ボルチモアで開催された、東海岸最大のアニメコンベンションイベント「OTAKON 2006」に特別ゲストとして招かれる。


■2007年
5月25日、26日にロサンゼルスのWiltern Theaterで開かれたイベント『J rock festival』を主宰。
9月20日、2008年公開のアメリカ映画「Repo!」の音楽総監督・製作総指揮・主題歌制作を務めることを表明。


■2008年
3月11日、日本テレビ開局55年記念ドラマ「東京大空襲」の主題歌として、書き下ろしの新曲「愛する人よ」を秋川雅史に提供したことを発表。
5月、hide memorial summitのオーガナイザーを担当。
9月、日本を皮切りに台湾・香港・タイ・韓国でプロモーション・ツアーを敢行。
9月19日、黒澤明生誕100年祭「AK100 WORLD TOUR」の音楽プロデューサーに就任。

■設立レーベル
EXTASY RECORDS
1986年にXのレコードを出す為に設立。後にLUNA SEAやGLAY、ZI:KILLを輩出する一大インディーズレーベルとなる。

PLATINUM RECORDS
1994年にポリグラムグループとプロデューサー契約を結び設立。GLAYなどがこのレーベルからメジャーデビューした。

EXTASY JAPAN
2000年にメディアファクトリーの出資を受け設立、イーストウエストジャパン(当時)と流通契約する。

EXTASY RECORDS INTERNATIONAL
ロサンゼルスにあるエクスタシーレコーディングスタジオの運営会社。2000年にワーナー・ミュージック・グループと流通契約し、レーベルとして始動した(※ワーナーグループの日米協業はこれが初)。YOSHIKIのマネージメント業務も兼ねて行っている。

EXTASY A Music
2008年、「I.V.」全世界同時発売時に設立。

■使用機材

ピアノ:ローランドRD-1000
エレクトリックピアノ。インディーズ時代から最初の武道館辺りまで使用した。初期のステージでは生ピアノを使えなかった(ステージのスペースの都合と、予算の問題の為)為、ステージで使用され、このエレピではピアノ以外にもチェンバロなど、音色を変えて演奏する事も多かった。

KAWAIMP9000
KAWAIの電子ステージピアノ。ハンマーアクション構造を採用し、グランドピアノに近い演奏感を得られる。1997年のTV出演時に使用。

KAWAIクリスタル・グランドCR-40A
河合楽器製の透明なピアノ。主にステージで使用している。枠・蓋・脚部など外装部分が無色透明なアクリル製でできている。生音は、通常の木製ピアノと若干異なる(アクリルは木と比べて鳴らないことや、金属パーツが木製ピアノと比べると多い事が理由。また、普通のピアノと比べても重量がかなりある)が、マイクで音を拾うライヴの場合はそれ程影響はない。それまで音楽業界の一部にしか知られていなかった特殊なモデルのピアノだったが、そのモダンなデザインと、未来的な外見が、彼によって一般にも広く知られることとなったため、KAWAI社内では「ヨシキ君のピアノ」と呼ばれるようになったほど大きな宣伝効果をもたらした。それからは、あちこちの施設にこのモデルが納入されるようになった。自宅でもKAWAI製ピアノを愛用している。

スタインウェイ フルコンサートピアノ
カーネギーホールで使われていたものを買い取り、所有スタジオで使用している。通常の新品だと1台1,000万円程だが、著名なアーティストのサインが多数入っており、現在では値段がつけられない。

他にもロサンゼルスのスタジオに様々な種類のピアノを約30台所有している。

■ドラムセット
TAMA
基本的に2バス・2フロア・4タムタムである。クリスタルモデルとレッドモデルとシルバーモデルの3種類あり、(レッドが前期に、シルバーが後期に使用されていた。)後者2つはライブでよく破壊された。レコーディングでは、『JEALOUSY』のレコーディングからチタン製シェルのセットを使用していた。
クリスタルモデルはシェルがアクリル製で、かつてはラディック製のもの(レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムが使用していた事で有名)が有名だった。当時は生産されていなかったが、ライブで『ライトによっては何色にでも光る』という理由でTAMAに作ってもらった。その後市販もされたが、既出のKAWAIクリスタルピアノと同様に、鳴らない素材の為力を入れて強く叩かないと鳴らないので、2008年の『ドラム・マガジン』のインタビューで「あのモデルを買った人は大変だと思いますよ。強く叩かないと鳴らないから。」と発言している。なお、2008年のXJAPAN復活ライブではバスドラムの前面ヘッドのデザインが一新されたクリスタルモデルが使用され、4つのオクタバンと2台のシンセサイザーが新たにセットされた。
スティックの色は黒で、TAMAから「YOSHIKI」のロゴが入ったスティックが販売されている(また本人は使用していないが上位モデルとしてマティロ(滑り止めの塗装)使用のスティックが販売されている)。TAMAと契約する前(アルバム『VANISHING VISION』の頃)にはライブではPearlのドラムセットにロートタムをセットして使用していた。シンバル系は最初はPearlの『WILD』シリーズを使用していたが、後にジルジャンに統一された。


■製作機材
デジデザインProTools
MIDIの打ち込み、及びレコーディングでメインに使用。2002年の「YOSHIKI Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring VIOLET UK」でのVIOLET UKのステージではProControlと共にステージ上でシーケンスを走らせながらパフォーマンスをした。

ドイプファーLMK4
長年マスター・キボードとして使用。ハンマーアクション構造。

ミキサー卓
アメリカ本土最大のミキサー卓を使用。

■エクスタシーレコーディングスタジオ

YOSHIKIはアメリカ・ロサンゼルスにレコーディングスタジオを2つ所有している。

■EXTASY RECORDING STUDIO NORTH

X時代にレコーディングで使用していた、ノースハリウッド・ランカーシムブルバードにある「One On One Recording」を買い取り、「EXTASY RECORDING STUDIO NORTH」に改称。「One On One Recording」はメタリカやボン・ジョヴィ、マドンナなど有名アーティストが使っていたが、YOSHIKIがX JAPANや自身のレコーディングでほぼ占有状態にしていた。X JAPAN「ART OF LIFE」完成時の打ち上げではメンバーがスタジオを破壊。一部タブロイド紙の地方版にも掲載されるなどアメリカ音楽業界で話題になった。

■EXTASY RECORDING STUDIO SOUTH

ビバリーブルバードに位置する。前述の「EXTASY RECORDS INTERNATIONAL」と「EXTASY MUSIC PUBLISHING」も同じ建物内にある。
両スタジオで使われている、又は所有しているレコーディング機材とキーボードなどの楽器を合わせると10億円を越えるとYOSHIKIは明かした。また、X JAPANのボーカルTOSHIがX JAPAN復活に向けて、スタジオへ出向いた後、YOSHIKIのスタジオについて「充実度はおそらく世界一です」と自身のホームページで明かした。


■持病

X時代、YOSHIKIの激しいドラムプレイは、何度もライブの中止・延期を引き起こした。初期の頃は頭を激しく振りつつ、若さを利用した力任せなプレイで叩いた為、代償として頚椎椎間板ヘルニアや神経循環無力症などを相次いで発症。これらの症状の為、回復後は首にコルセットを巻いてドラムを叩いていた。今度倒れたら車椅子生活になると医師から宣告されたYOSHIKIは、再発防止の為に、首をはじめ全身に筋肉をつけるよう勧められる。ドラムというパートの特性上、元々筋肉質の体ではあったが、自宅にジムを作ってトレーニングに励んだ結果、見た目が変わるほどにまでに筋肉が強化されている。2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演を予定していたが、持病の椎間板ヘルニアを復活ライブで悪化させ、無期延期となってしまった。その後、病状が回復した為、パリ公演を同年11月22日に行うことが決定した。
スタジオで過去に長い期間、手首に負担がかかる角度でマスター・キーボードを弾いていたため、慢性的な腱鞘炎になっている。
極度の不眠症であり、音楽療法の研究もしている。
幼少の頃は病弱で、喘息持ちであった。


■家族関係
10歳の時に父親が自殺し(奇しくもhideと同じく33歳だった)、彼の人生を大きく左右させることになる。彼の楽曲「Tears」は、亡き父親を想って書かれた曲である。また後日、実家が呉服商であることを明かしている。
父親の死後は母親の一人手で育てられた。誕生日ごとに新たな楽器を与えられるなど、音楽に恵まれた環境で子供時代を過ごした。中学高校と学業優秀であったが、素行が荒れた問題児であった。しかし家庭ではプロの音楽家を目指し練習に没頭する子供であり、母親はこれに投資を惜しまなかった。自主制作レーベルEXTASY RECORDS立ち上げに際しても出資し、YOSHIKIの音楽活動を支える強力なスポンサーであった。
2000年春に今上天皇主催の園遊会に母親と共に出席し、今上天皇より『あなたが(在位十年記念式典で)ピアノを演奏してくれたんですね?』とお声を掛けられた際、「光栄です」と答えていた。この模様はその後にテレビの皇室番組でオンエアされ、そのときのインタビューでも「(一緒に出席した)母親に親孝行ができた」と語っていた。ちなみに、参加者は胸にネームプレートを付けていたが、そこには「YOSHIKI」ではなく、本名の「林 佳樹」の名前が記載されていた。
本人は素行が悪かったというが、学生時代の成績は優秀であるなどやるべきことはやると言っており、以下のエピソードがある。(2008年10月3日放送のさんまのまんまより)
中学時代に成績が学年2~3位になった時に髪を赤く染めたが、坊主頭にさせられた。
仲間と遊びに行ったりするような時でも、ピアノのレッスンがあればピアノのレッスンを優先させる。
仲間との集会に出かける時でも、英単語帳等を持参。
5歳年下の弟は俳優の林光樹である。田辺エージェンシー所属の俳優であるが、現在は主に兄YOSHIKIのマネージメント業務をしている。




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